生産者の想い

あけぼの大豆に惚れ込んで決めた第2の人生

横浜で会社の経営者をしていた頃、浅野さんは「いつか一次産業(農業)に携わっていきたい」「自給自足を視野に入れた農業をベースにした生活は社会環境の変化に左右されにくいかもしれない」と考えていました。「行動するなら長女が親の手を離れ、自分自身も50歳になる前のこのタイミングしかない!」それが浅野さんにとっての第2の人生に向けたスタートでした。 浅野さんは当初、「最初から直接自分で畑を持ち、手を動かし考えながら生産に携わりたい」と考えていました。しかし、他県では最初の3年間は農業の修行をする意味で見習い的な立場を条件とし、希望にそぐわないところが多い状況でした。その中で、有楽町の移住定住センターで身延町のあけぼの大豆の存在を知り、その魅力に惚れ込んだことや、身延町はヤル気さえあれば畑を借りられる受入れ体制があり、自身の希望する方向性と一致したことが身延町を選ぶ大きな決め手となりました。 最初の半年間は家族を横浜に残して身延町に単身赴任をしていましたが、その期間に隣近所からの夕食のおすそ分けを戴いたり日常の中で身延町に住む人の人情を感じたことも、浅野さんにとって大きく心を動かされたものでもありました。

農業を通じた学びとキャリアの活かし方

農業の興味深いところは「自分でやった以上のものはできない」ということ。自分で手間暇をかけた分、その成果として良いものが出来上がり、逆に手を抜こうと思えばいくらでもできる。つまり、自分次第でいかようにでもなることが、農業の面白さでもあり難しさでもある。浅野さんが学生時代から打ち込んできたバスケットボールで「練習以上のことは試合で出せない」という考え方とも共通するものがありました。 農業のノウハウや高品質なあけぼの大豆の生産のあり方を追求するために、浅野さんは他市町村の農業従事者からも色々な観点で学びを得ながら日々、取り組んでいます。 浅野さんは現在、あけぼの大豆拠点施設の多岐に渡る業務を行なっています。その中でも、これまでのキャリアを活かし、あけぼの大豆のオンライン販売・管理などのデジタルメディアの運用業務を主としながら、あけぼの大豆の加工品をいつ、どのように製造し販売するかという「生産から販売まで」の一連の事業設計を含む業務も行なっています。

私の感じた身延町の魅力

『人間味溢れる人々と共に過ごす時間と、都会では感じられない心の豊かさをもたらす日常の贅沢な環境』が浅野さんにとっての身延そのものの持つ魅力。   見上げれば夜空に広がる星空や日常にある大豆畑の風景、そして近所でいつも親しくしてくれる人や地域おこし協力隊で繋がる輪や絆。一つ一つの出会いや発見を大切にし、惚れ込んで決めたあけぼの大豆との第2の人生をこれからも楽しみながら生活していければと思っています。